50歳独身おんなのひとりごと

50代になり「まあいっか」という感覚の“深さ”を真に理解した。そんな50代独身おんなの日常を綴ったブログです

薬膳的 鶏・いか団子鍋

コロナはやはりこわいので、外出制限は私なりのペースで守っている。

 

そうなるとまず気が滅入るものです。

 

滅入った精神をいたわるためにも食事の楽しみだけは自分から取り上げないようにしています。

 

そこで今日は鶏といかの団子を入れた鍋で自分を癒します。

 

まずやまいもをバーミックスでねばねばがでてくるまで細かくし(半量はここで別のボールに移しておく)そこに長ネギのみじん切り、鶏むねのミンチ肉を投入し塩で調味。(鶏団子のベース完成)

 

次に同じくバーミックスにかけたもんごういかと鶏団子の工程で作っておいたやまいも。長ネギのみじん切りを混ぜ合わせ塩で調味。(いか団子のベース完成)

 

次にマイタケ、豆腐、小松菜(縦に細切)を準備する。

 

ここまで出来たら土鍋でスープを作る。市販の味噌系のスープでもよいのですが、私の場合は、水500cc、鶏ガラスープ大さじ2杯、豆板醤大さじ1、にんにくペースト大さじ1、みそ大さじ1.5、紹興酒大さじ2で作ります。(味は個々の好みで仕上げれば大丈夫)

 

鍋に張ったスープを火にかけ沸騰してきたらマイタケ、豆腐、小松菜を投入。さらに火にかけ煮立って野菜がしんなりしてきたら鶏&いか団子のベースをスプーンですくって沸騰した鍋の中に落とす。蓋をして再沸騰させ団子類に火が通ったら完成。味をみて味の微調整が必要ならおこなう。

 

食す際に軽く陳皮をふりかける。

 

薬膳的に今回のメニューを解説しますと、、

鶏肉とやまいもは補気類といって体の元気のもとになる食材。

いかは補血類で体の血を補う。

小松菜は慈陰類で陰液(血など体の水分の基)を養う。

陳皮は理気類。それぞれの食材がその効果を発揮するために下支えする

臓器を「お疲れさま」といたわる役割をになっています。

 

総合的に体を温めることができる鍋レシピです。

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薬膳スープ

先日ミートショップで鶏の手羽中が目に入り衝動的に5本購入した。

 

その時思い描いたイメージはじっくり煮込んでスープをこしらえること。

 

帰宅の道すがら、どんなスープにするかと考えをめぐらしひらめいたのが「薬膳スープ」だった。

 

私は中医薬膳師という資格を持っていて、家には数種の中薬をストックしており、今回のスープに使うのは“なつめ”という結論を出した。

 

“鶏肉”も“なつめ”も①胃をやさしくいたわってくれて、②血を増やしてくれて、結果として③体を温めてくれるありがたい食材である。

 

まず手羽中をきれいに水洗いし、土鍋に投入。次に土鍋に水を600㏄と紹興酒大さじ3を注入、そして同じ土鍋になつめを2個投入、その後弱火にかける。

 

薬膳では基本灰汁はすくわないのだが、気になるならすくう。

 

3~4時間じっくりと煮る。

 

手羽中の骨と肉がほろほろと力を入れずに外れるようなら外して骨は捨てる。

 

くたっとなったなつめの薬効はほとんどスープに抽出されたので、なつめ自体においしさは感じられないが、食べても大丈夫。(私は食べてしまいます)

 

出来上がったスープには好みで塩で調味していただく。(私はごくごく少量にして、素材の味を楽しみます)

 

翌朝スープは煮凝りの様に固まりますので、コラーゲンがスープに流れ出ていることが目で確認できる、実はお肌にも良いスープですので、ぜひ一度お試しください。 

 

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父の手術

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先日父の入院の知らせを母から受けた。

 

自分は長く生きてきて、それなりにいろいろな経験をしたし、一人生計を立て十分自律を果たしたと思っていて、だからどんな状況にも冷静に対応できると思っていたけれど、先日急に飛び込んできた父の入院の知らせには慌ててしまった。

 

遠くで暮らしているので、日常的に会っていないし、入院と聞いても自分がそんなに動揺するとは考えていなかったけれど、違った。入院の知らせを聞いた直後神棚で手を合わせた。『神様父をお見守りください』と。

 

親というのは自分の生の由来である存在、歳をとって頼りなげに思えたりしつつもやはり絶対的な存在なんだなあと思い知った。

 

私も50歳ともなると社会の様々な洗礼も受け傷ついた経験もある。今後残った人生の時間を何のために割いていくのか、割くべきかの算段はついてきた。

 

そんな中で父の入院のために1週間の休暇取得を決めた。

 

周囲に迷惑をかけるからと、遠慮して休暇取得を言い出さないのも一つの選択肢、取得すると決めてそのための調整に動くのもまた一つの選択肢。

 

これからの人生残された時間も多くない、主体的に自分の思いをかなえていく、そんなちょっとした決意表明をした今回の経験だった。

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苺ロール

本日36.16度、体調オッケー。

 

しかし気持ちが上がらない、ネットを見たり、ユーチューブを見たり、外から情報を得ようとすると惑わされる。でも自分でいろいろ考え始めるとそれもまた陰にこもってしまう。

 

私は普段から一人が好きで、一人で企画し、一人で決断し、そして一人で実行する。

 

だから一人で全然平気、生きていけると思ってきたけど、実は自分は他人と接することによって相対的に自分の価値基準を見出し、自分の存在を認識していたんだと最近思う。

 

「人は1人では生きていけない」とみんな言うけれど、正直その投げかけに対しうわべだけで「そうだね」なんて取り繕ってきたけれど、最近コロナによって本格的に他人との接点がなくなってみて、実は自分は他人を意識することで初めて存在していることを実感できるようになった。

 

私は他人に生かされているんだ。

 

これを認識したとたんになんだか急減に落ち込んだ。自分は本当にちっぽけだと悟った。

 

落ちてしまった自分の気分を持ち上げなければと、今日はお気に入りのケーキを買って食べることにする。

 

イナムラショウゾウの特製苺ロール、このケーキにはいつも救われる。

 

ありがとう、これからもよろしく。

 

高級食パン

今日の起床時体温35.95度。問題ないだろう。

 

昨日は久しぶりに出勤した。

 

最寄り駅から乗り込む電車には乗客はまばら。一両当たり20人も乗車していない印象。

 

悠々と座って通勤、その点はありがたいけれど乗車客同士目も合わせず、もちろん会話もせずただたただ個々人が自分の世界に引きこもるかのようなその様は異様で、この先の未来にはどんな光景が広がるのだろうと不安ばかりを感じた。

 

仕事の帰りそんな鬱々とした思いを吹き飛ばしたくてせめておいしいものを手に入れたいと思った。幸い日本橋にある百貨店が食料品フロアだけは頑張って営業してくれていることを知っていたので、駆け込み寺よろしく駆け込んでフレッシュなサラダを数種類と2斤で1080円の高級食パンを買い求めた。

 

普段は買うことをためらったりするけれど、今日の行動に躊躇はなかった。そんな自分に「あーがんばって我慢しているんだな、わたしも。だからこのくらいのご褒美はいいんだよーとゆるしを与えたんだな、わたしはわたしに対して」と感じた。

 

手に入れたおいしいもの達のおかげで私は少しだけ幸せを感じた。食べ物を提供してくれた人、購入するお金があること、私がおいしいものを買って食べている間も生活のインフラの提供を絶え間なくおこなってくださっているすべての方に感謝しなければならない。

 

今自分にできること、それはせめて自分を維持していくこと。がんばりすぎなくていいとおもっている。

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6日ぶりの買い出し

今日の体温36.16度。毎朝検温して自分の体の声を聴く。

 

今日はスーパーへ出かけることにした。

 

やはり乾物、缶詰、冷凍食品などフレッシュでない食材のみで生きつなぐのに限界を感じ、牛乳が切れたことをきっかけに外へ出ることにした。

 

レジでお金を払う行為は6日ぶり、何年もそんな感覚を忘れていた気がする。好きな時好きなものをちょこちょこコンビニなんかで買うことが制限される時が来るなど誰が考えていただろう。

 

商店街沿いにお目当てのスーパーへ向かう途中少し発見があった。

 

「この飲食店テイクアウト始めたんだ」とか

「トイレットペーパー結構あるじゃん」とか

「バナナもまだまだある」とか

「きのこやや高め、ニンジン高め、大根、キャベツ、トマト高め、カップ麺系割引してない、玉ねぎ安め、もやし売り切れそう」とか、、、

 

ものは意外と潤沢な印象で少し安心した。

 

だけど数か月後はどうだろうか。

 

「農家さんは畑にきちんと種まきしてくださっているだろうか」とか

「メーカーさんは緊急事態宣言下で工場ラインを止めていらっしゃるんだろうな」とか

 

いろいろ考えてしまう部分もある。

 

独り身は助け合ったり知恵を出し合ったりするチーム員がいなくてホント孤独な戦いだなあと今日はぼやきたくなった。

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コロナの影響をうける生活

今コロナの影響でわたしのの勤める会社ではリアル勤務と在宅勤務を半々にしながら営業をつづけている。

 

100%在宅勤務者がうつうつとした気持ちに陥っていると聞くが、50%在宅勤務者の私にもその気持ちは想像できる。

 

リアル勤務日には通勤電車に乗るわけですが、通常の乗車率のおおよそ50%くらいだと推察する。表面的には快適にも感じるが、なんとなく嫌なムードがそこには流れている。みんなが見えない敵と戦わざるを得ない不安感を身にまといその不安感が嫌なムードを醸成している。

 

誰にとっても想定外だった今の生活、この経験は1人ひとりの価値観をすこしづつ変えていくような気がしている。「いくらお金を払っても防ぎきれないことがあるとすれば、だったらお金って何?お金ってたくさん必要なの?人生って?生きがいって?」などなど。

 

もちろんお金は必要だしそれにこだわってもいい。お金はほどほどでいいからほどよく自分を甘やかしながら生きるもいい。

 

1人ひとりのその小さな考えの変容がいずれおおきなうねりとなって世の中を変えるのかもしれない。その時変化に不安になるのではなくわくわく楽しんでいる自分がそこに居てほしい。

 

コロナの影響下まずは自分がどういう価値観を持ちどこへ向かいたがっているのか。自分の声を聴いてみようと今思っている。

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