50歳独身おんなのひとりごと

50代になり「まあいっか」という感覚の“深さ”を真に理解した。そんな50代独身おんなの日常を綴ったブログです

「転職」からの発想転換。「副業」へ

「副業」について世間のイメージ

「副業」ときいて多くの人はどのようなイメージを抱くだろうか。『自分には無理』、『自分には何も売りにするものがない』、『何から始めればいいかわからない』など、「副業」が自分には縁のない壮大なテーマであるとの認識を持つ人は意外に多いのではないでしょうか。そしてかつて「副業」を手の届かないあこがれと捉えていた筆者もそういった気持ちはよく理解ができる。そんな筆者も現在は「副業」をスタートさせている。はじめてみた今思うのは「副業」を持つことが何ら特別なことではないという事。そして「副業」を持ちつつ生きる事が、サラリーマンであり、なおかつ“承認欲求”や“自己実現欲求”を持つ生身の人間として、むしろ自然な在りようの様にさえ感じ始めている。

副業」をはじめたきっかけ

あらためて、筆者は現在本業として企業勤めをしながら「副業」をしている。「副業」を持つことになるまでの経緯は次のようなものだ。まず筆者の身に起こったきっかけ的なこととしては、勤務企業側が打ち出してきた大きな人事制度改革であった。制度の内容は暗に終身雇用制度の終息を謳うものであった。おそらく筆者を含めバブル期に入社した者の多くが「あなた方のことを会社が最後まで守る時代は終わりました」と言われたと感じただろう。覚悟はしていたつもりの筆者も体からスーッと力が抜けていく感覚をその時味わった。

どこかで感じた開放感

新しい人事制度で、従業員はこの先の未来に向け「多様的な働き方」を手に入れた半面、自己を自分自身でマネジメントしていく重責を担ったというわけであるが、もともと会社という閉じられた世界の中でのみ通用するルールや、寝ても覚めても会社のことを思う忠誠心ある者こそが評価されるといった世界観についていけなくなってきていた筆者にとって、この新しい人事制度は、うまく説明はできないが、どこか「あー解放された」という感覚を、筆者のもとに運んできてくれるものであった。

「副業」を持つ決断

前述したが、筆者はバブル期入社のアラフィフである。会社での出世の道からもはずれ、よって仕事の局面で新しい経験と巡り合うことなどほとんど皆無の環境下にある。毎日同じ作業を、正確に、迅速に、丁寧に、行うことが筆者のミッションという事になる。そういう役割を担うことがダメだとか、嫌だとか思っていない。とても大切な仕事させてもらっていると日々思っている。しかしそういった仕事をする日々には、どこか「諦め」のような苦々しい思いが潜んでいるというのもまた本心かもしれない。やはり筆者も、新し経験にわくわくしたり、「いやー、今手探り状態で新しい挑戦をしているところでして、、」なんて言いながら過ごす時間を諦めたわけでは決してないのだから。そんなわけで、新しい人事制度が筆者にもたらした「副業解禁」の知らせは、筆者が気持ちの奥深くに閉じ込めた「諦め」の気持ちを、再び表層へと押しあげ、筆者を突き動かすきっかけとなってくれ、そして筆者は「副業」を持つ道を進むことになった。

「副業」で得た「新しい挑戦」の機会

筆者が副業を開始して、早くも半年の月日が経った。今筆者は、「言ってみたい」と願った「いやー今手探り状態で新しい挑戦をしているところでして、、」のセリフを願望ではなく現実に言うような生活を送っている。約30年間のサラリーマン実務経験を見込まれ、とある大学での講演の仕事を受け、目下その仕事に向けコンテンツ作りにいそしむ日々である。自分が大学で講演をする姿を、過去に想像したことなど一度たりともなかった。しかし「副業」をもった今、「新しい経験」に挑戦する機会が筆者のところにやってきてくれた。

人生は「決断」と「行動」の繰り返し

今「副業」を持つ決断をし、さらに「行動」できたことについてあらためて考えることがある。「決断」はともかくそれを「行動」に移すことには踏ん張りが必要だったなと。実は「副業」をするには会社へ申請し、さらに承認を得なければならない。筆者の申請当時、ほかに申請する人はおらず、周囲の好奇の目にいたずらに晒されたように感じた。でもどんな状況に立たされたとしても最後には自分自身の声をきかなければならない。「進みたい道はどこにあるのか?」と。そして決めたならひるまずに「行動」しなければならない。筆者の今は、あのときの「行動」の産物だと今あらためて思っている。

 

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